難関大学に現役合格した高校3年生の学校外の学習時間は
平均6時間2分だった。
一方、不合格者の平均は5時間35分。
合格者との開きは1日でたった27分だった。
実なシビアなデータが明らかになった。
(ベネッセより)
難関大学に合格できたかどうかの境界線はずばり30分だった。
たった、毎日の30分が明暗を分けた訳だ。
30分、、、
カップラーメン10個分?
お風呂?ごはん?テレビ?スマホ?睡眠?
学校の授業外で5時間半も勉強しているというのにこれ以上、何を削れというのか。
時は金なりというけれど、
時々、時はダイエットなりというか、
時間には余分なぜい肉を削ぎ落としていくようなイメージがある。
優先順位をつけ、精選されていくイメージ。
伝わるかな?
誰もが共通で普遍的な24時間という限られた中で、
いかに必要か不必要かを自ら判断し必要なものをいかに詰め込むか、
不必要なものをいかに排除するか、で人生が決まる。
排除って言葉はダメですね、はい。時事ニュースでした。
不必要なものをいかにそぎ落とすか。
時間は経過するものなのに、
減っていくものなのに、
いかに詰め込めるかを考えてしまう。キャリーバッグじゃないのに。
変だ。逆だ。
つまり、限られた時間の中で、
いかに最高のパフォーマンスができるかが人生なんだ。
あらゆる世界のプロたちは
その分野に人生を捧げ、莫大な時間を費やしている。
休みながらも中途半端ではなく、最高水準ギリギリのところで頑張る。
休むか休まないかのバランスは個人個人が試し、最適な状態を判断する。
ミスがあれば改善する。
追い込みすぎて、次の日のパフォーマンスが落ちるのはナンセンスだから。
何千回、何万回の休みすぎ?休まなすぎ?のトライアンドエラーの行く末に
最適だ、適正だと自ら見極めた領域が、プロしか知り得ない領域であり、
究極の自己管理だと思う。
私はヨガインストラクターの資格を持っているのだが、
その際、少しだけ追い込む修練を学んだ。
追い込みすぎると、ケガをするから良いことはない。
かと言って、怠けてもまったく成長しない。
限界のちょっと先を目指す。
ちょっとの無理の積み重ねで、身体は修練されていく。
例えば、腹筋を「もう無理ー!」と思ってから
3回くらいするとか、
ちょっとの無理で良いという。
その蓄積で身体は修練されていく。
では、話を元に戻すと、
30分が明暗を分けるのだから、想像以上に相当な耐久力が要求されるということだ。
1時間からの2時間ではない。
5時間半もやってからのその先の6時間、
徹底した計画性と時間管理が要求されるんだ。
その耐久力は概ね体力だ。
つまり、自分なりのトライ&エラーを何度も試した上で、
高校3年生を迎えなくてはならないということだ。
今日はなかなかできた、よし、明日も頑張ろう。
今日はできなかった、いまいちだな、この分を明日取り返そう。
今日はまったくできなかった、まずい、明日から追い込みだ。
毎日こんな反省を繰り返す。
となると、いかんせん準備が必要だ。
私も毎日学習時間をスケジュール帳に書き留めていた。
あー、うー、と自己反省の日々だった。
でも、できた時はとびきり自分を褒めてあげる、少しだけテレビを見たりして。
そんな作業の毎日だった。
大学受験は高校3年生からではない。
すでにもう始まっている。
そうしないと、勝利の女神ニケは微笑まないのさ。
さぁ、人間の努力の先の神様が操る領域へ。
その先へ。
最後に、こんなデータもあるので、参考までに。
高校3年間のトータルの学習時間の比較だ。
現役合格者の方が不合格者よりも
高校1年で80時間、
高校2年で158時間、
高校3年で152時間多く、
3年間トータルで390時間の開きがあった。
チリツモの恐ろしさとはこの事だ。
分かりにくいけど。
まだ、間に合うは過信にすぎない。
令和のつぶやきにも書いたが、
過信は危険。
はい、今日も勉強しよう。
前向きに。
読んでいただきありがとうございます。
スターグリーンがお役に立てますように。