平成が終わるが教える仕事は終わらない。
「世の中に不変なものなんてないのさ。時代は激動の波だから、すべてが一過性なのだ。」
インターネット、ITが世の中を変えた。
ビッグデータにAI、驚くべき進化を遂げた。
人類はすごいと、高らかにほくそ笑む。
いや、果たして。
解決していない問題は見過ごされ、
大量の情報に飲み込まれていく日々。
どうして、
人はこう進化の裏で、退化を隠そうとするのだろう。
進化は進化だけではなく
退化いや、「無視」がそこにあることを忘れてはならない。
人は言う。
なぜ、今、塾なの?
子供も減るし、人口減少だよ?
AIの誕生で失われる仕事は多いという。
ただ、私は思う。
誰かが誰かに教えること、それはなんて普遍的な世界なのだと。
持続可能性はいかにして構築可能なのだろうか。
誰かが誰かに教えてきたことにある。
中世ヨーロッパにも徒弟制度があり、
厳しい縦社会で学ぶにつけ高い技術を習得してきた。
ヨガも長年継承されてきたものの一つであるが、
必ず、グル(師)が必要であるという。
高いレベルで持続可能性を実現するためには
案外アナログな「教える」という作業が不可欠である。
そういうアンバランスさが世の中にあることを
今だからこそ忘れてはならない。
どんな大学の学部に進学しようが、
数学史、科学史、医学史、法制史、経済史など歴史から学ぶのが通例だ。
間違いなく、
たとえ人からでなく文献や論文からであっても
過去の遺産から研究が深化することを示している。
もはや、教える仕事が普遍的であることは否定できない。
そう、平成は終われど、教える仕事は永遠だ。
人が人に教わり学ぶ仕事は絶対になくならない。
私はスターグリーンを学びの場として今日も大事にしようと思う。
読んでくださった方、ありがとうございます。
日々、精進します。
文章ほど、塾は固くはないので、ご安心くださいね。